息子(8才)はスイミングスクールに通っています.日本にいた時から某大手チェーンのスクールに行っていて,アメリカに来てからは,YMCAのスクールへ.そこで図らずも感じたのは,アメリカと日本の考え方の相違.
私が子供のころも今も,日本のスイミングスクールは1ヶ月か2ヶ月に一回進級試験を受け,その間はひたすら同じ練習(例えば,”クロールの手”とか”平泳ぎのキック”とか)をやらせられる,という所が多いと思います.もちろん受からなかったらさらに数ヶ月,ひたすら「型」の練習.最初は水の中を歩く事から始め,ジャンプしたり,水中のフラフープをくぐらされたり・・・初めて「泳ぐ」ことを許されるまでにかかる,1年,2年の歳月.「面白く無い」と辞めていく友達.
息子がノックスビルのYMCAに通い始めて,まず驚いたのは,1)マトモな泳ぎ方で無かろうと,とにかくガンガン泳がされる,2)同時に複数の泳法をやる,3)型については,あまり細かくは教えてくれない,ということ.見ていると,半分溺れているような,めちゃくちゃな型の子供も,とにかくもがいてもがいて向こう岸まで向かうのです.
YMCAの教室のやり方を見て最初に思ったのは,「級」に縛られず,色んな泳法をどんどん覚えていけるし,沢山泳ぐことで体力がつきそう,というプラスの面と,いつまでも自己流のままで速く泳げるようにならないのではないか,という2つのこと.しかし,この違いが良いのか悪いのか,判断出来ませんでした.
5月になり,学校が夏休みになると,通常のスクールプログラムではなく,「スイムチーム」というプログラムが始まりました.ほとんど毎日のようにプールに出かけ,プールサイドを走り回り,ひたすら泳ぐ,それだけかと思っていたら,違いました.なんと,7月末までの3ヶ月間,毎週のようにスクール対抗の試合が開催され,先の半分溺れているような子も,まったりと温泉に使っているような私の息子も,ガンガン泳げる子も,全て25ヤードのコースで他流試合をするのです.
きっちりタイムを計って次回のレース順に反映させるので,1,2試合しているうちにヒート毎のレベルが揃って来て,半溺れの子はそんな子どうし,マッタリレベルもマッタリレベル同士,友達や親の大声援の中,それぞれにデッドヒートが繰り広げられます.あまり泳げなくても,リレーだってするのです.
そして,息子の口から出て来た言葉.「今,僕は速かった?」「どうしたら速くなる?」.3才から8才まで,日本で,コーチの細かいアドバイスに混乱し,プールでは遊ぶ事しか考えなかった息子が,このスイムチームが始まって僅かの間に会得したのは,速く泳ぎたいという願望なのでした.そして,飛び込みのやり方,手のかき方,息つぎのタイミング,等々,日本では全然理解出来なかった一つ一つのアドバイスを自ら試していったのでした.
7月末,今季最後の試合に出場しました.最終試合に相応しく,大きな観客席のついたテネシー大学の立派なプール.そして,小さな子供にも甘え無しの厳格なルールが適用された結果,多くのチームが失格し,タイムは凄く遅いけれど失格しなかった「マッタリクラス」の息子達のメドレーリレーが,なんと最終日の決勝戦に残ったのです.
- 速く泳ぎたい,他の子に勝ちたいという気持ちが育つ.
- 無我夢中で泳ぎ,それに必要な体力が育つ.
- 速く泳ぐための技術を身につけ,ロスが無くなっていく.
なるほどね.目的を達するために手段をたてるアメリカ式.手段の緻密な積み重ねによって,結果として目的を達する日本式.夏期のスイムチームの前までは「でも,アメリカ式で,目的意識が育たなかったら,いつまでもダメじゃん」と思っていたのですが,このスイムチームこそ,その重要な目的意識を目覚めさせるための大事なプログラム,そしてその前までの通常プログラムは,その試合に出るための本当に最低限の技術(泳法を区別出来る程度の”型”と,なにはともあれ25ヤード泳ぎきること),および,既に自らの目的意識を持った子供達の泳ぎを洗練させる場だったのです.荒削りだけれど合理的な,典型的なアメリカの一面を見せつけられた気持ちです.
さて,息子達のリレー.予選結果は決勝16チーム中,ダントツのタイムで16番(笑)だったのですが,決勝では15番でゴールしました.息子は中学生の先輩の女の子から直前にアドバイスを受けて,息継ぎの回数を半分に減らした結果,予選と比べてちょっとだけ速いスピードで泳げたようです.非常に小さい進歩だったけれど,良い最終試合でした.
・・・そして,8月.スイムチームの打上げが有りました.今シーズンの締めくくりに,昼食をとりながら,スライドショーを見たり,表彰式が有ったり.そして,何故か,「8才以下の最高得点」「ベストチームスピリット」の2つで,何故か息子が表彰され,盾を貰ってきました.本人もびっくり.頑張りがコーチにも見えたのかな.
惜しむらくは,この環境は日本帰国後はなかなか維持出来ないこと.ハッキリ言って,息子の型は,まだメチャクチャの領域.タイムだって大会では中の中.日本に帰り,前と同じスクールに復帰したら,タイムを計られることも,競争する事も許されず,まして他流試合に出る事なんて決して許されず,きっと,お尻の沈み方がちょっと,とか,手の角度がもうちょっと,とかいう無限地獄に逆戻りするのだろうなぁ,と暗澹たる思いなのです.
実は,日本にも,どんどん泳がせて,子供に合わせてどんどん教えてくれる水泳教室がある事は,友人から聞いています.でも,それは電車で片道一時間も行った所の話.家のすぐそばにそんなものは無いし,なんとかならないものかな,と思う,今日この頃です.
[いいですね] アメリカの合理的な考え方がちゃんと形になってますね。こういうことさせるとホントにアメリカ人は上手というか徹底してる。息子さん、楽しくて記憶に残る夏で良かったですね。
投稿情報: yasuyuki | 2008/08/21 07:49
[this is good] 日米の教育全般における問題の縮図のような経験ですね。日本はみんなが足並みそろえないといけないですよね。飛び抜けてできてもダメ、みんなできることができなくてもダメ。アメリカはいろんな人がいすぎて、足並みなんかそろうはずもないし、そろえるつもりなんて毛頭ないですよね。みんなが上手になることに時間を費やすよりも20人に1人くらいめちゃくちゃできるやつがいればいい。できない人がいても別にいいし、それは当たり前だって。出る杭を引っ張って伸ばしてやる教育。うらやましいです。とにかく、息子さん、表彰されてよかったですね。いい思い出になりますね。
投稿情報: HYYKK | 2008/08/21 08:58
[いいですね] 自然と競争心が芽生え結果、水泳技術の向上に繋がるんでしょうね。
そーなんですねー
日本と水泳に対しての考え方の違いが分かりました。
投稿情報: shin | 2008/08/21 10:06
一概にどちらの方法が優れていると言えませんが、子供たちのことより、親の大多数が望むものを具現化したものが、そのシステムに表れているのかもしれませんね。
それに、みんながみんな水泳選手を目指してスイミングスクールに通っているわけじゃないから、子供たちが楽しめた方が良いと思うんですけどね。
投稿情報: nebula | 2008/08/21 11:26
yasuyukiさん,有り難うございます.驚くほど,システマティックでした.アメリカ人,本当に日常の他愛の無い事も(例えばレストランの注文一つにしたって),全部議論になっちゃいますけれど,それは頭を使っている証拠ですね.決まった事を良しとせず(まぁ,決まった事も,ちゃんと執り行われる保証は無いですが),常に自分が納得してから行動する.だからこそ,システムも多くの人が納得いく形にブラッシュアップ去れて行くのかもしれませんね.
投稿情報: まさとい | 2008/08/21 13:11
HYYKKさん,有り難うございます.よく言われる事ですが,日米の人々における,能動的/受動的の差異.これは本当に教育システムが「自ら考え,上に行きたければ自ら行け.それをサポートするぞ」という方針で構築されているからなのだなぁ,と思いました.息子は日本人の子供達の中でも,ちょっと依存する傾向が強いので,アメリカにいても中々這い上がってやろうと思う機会に恵まれなかったのですが,スイムチームは分かりやすい形で「これがファイティングスピリットなのだ」と教えてくれたのかもしれません.
表彰,親子共に「ポカ〜ン」としながら受け取りましたが,後からじっくり,これが,自ら頑張った結果なのだ,と実感してくれれば良いな,と思っております.
「出る杭を引張って伸ばす」まさにその通りですね.
投稿情報: まさとい | 2008/08/21 13:17
shinさん,有り難うございます.やっぱり自分の中に向上心がある事って,大事ですね.小学生に「お前は何がやりたいんだ」って言ったって(つい言っちゃいますけど)無理な話,ウマく持って行くシステムになっているのですね.アメリカの場合.
投稿情報: まさとい | 2008/08/21 13:19
そうですね.結果から言えばどちらが良いかは分かりませんね.子供によっても,向き不向きが有るでしょうし.「あまり向いていない子」でもソツなく泳ぐ事が出来るようになるのは日本式かも知れないですね.でもnebulaさんがおっしゃる通り,泳げても楽しく無い.勝とうとする意欲も生まれない.
・・・まったり遊べるならそれで良いのさ,という,アメリカ式. もちろん,そのまま向上しない人は遠からず辞めていくのでしょうが,水泳そのものがキライにはならないような気がしますね.
投稿情報: まさとい | 2008/08/21 13:34
興味深いお話ですね。こういうようなことは、学校教育でもありました。
もう十何年も前ですが、我が家の次男は小学校4年生から3年間New Jersey州の公立学校に行きました。N.J.の学校では、爪にマニキュアを塗ろうと、どのような格好をしようと自由でした。しかし、遅刻するとか、授業中騒ぐとか、他人に迷惑をかけるような行動は厳しく注意され、指導されました。要するに、他人に迷惑をかけない限りは、好きなようにしてよいのです。日本の中学や高校の一部の運動部のように、全員坊主頭にする(今でもあるのかな?)などということはあり得ないことですね。
「世界の常識」の中で仕事をしたり、活躍するためには、日本の教育方針は見直すべきところがいろいろあるでしょうね。
投稿情報: Poran | 2008/08/22 00:15
Poranさん,確かにそうですね.息子の学校でも,担任の先生から度々印刷された「お知らせ」が来ていたのですが,他人に迷惑をかける行為については,かなり厳しい口調で注意がなされていました.
服装に付いてもそうですね.私の現在の職場ではスーツを着るのは「自分をきちんと見せる必要がある時」「(具体的にその日に会う)相手に失礼の無いように」という場面で,理由があります.アメリカでも毎日スーツを着る職場は,接客業等,キチンと職場環境としての理由があるのでしょう.ところが,日本だと「会社に行く時は当然スーツ」「金曜日はカジュアルデーと決まっているのでスーツ以外」という何処かであまり理由なく策定された「決まり」に従う・・・.服装については,場の空気とか,国ごとの人々の価値観の相違もあるので,一概に良し悪しは言えませんが(私個人としてはカジュアル過ぎるアメリカの職場に少々違和感があります),何れにしろ,自分の服装に対して自分なりの理由付けが有ってしかるべきですね.
投稿情報: まさとい | 2008/08/22 02:20